「ここは串本 向かいは大島 仲を取り持つ巡航船・・・」
と歌われた巡航船。
串本から大島まで短い間でしたが島の人々の行き来を支えていました。
橋ができたのでもうすぐ廃止ということで、乗りに行った時のものです。
巡行船の行き来は今見るとロマンチックな雰囲気が漂い、さらに生活感も感じられます。
高校のころは、台風になると島から通っている連中は、公休になりましたがそれがうらやましかったです。
就航以来たくさんの人を運んできたのですが、橋ができて必要がなくなり廃航となってしまいました。
「歴史と自然に包まれた観光の島づくり」を目指すためにという目的で平成11年に橋が架かりました。しかし町の賑わいとしたら、橋のかかる前のほうが元気があったような気がしてしょうがありません。
大島港で巡航船待ちをする間、食堂で食事をしたり地元の人との交流ができたのですけど今はどうでしょうか。
もともとは、大島港は大阪と江戸を結ぶ廻船の停泊地として栄えたところです。
アメリカからペリーがくる62年も前に通商目的で訪れたところでもあります。
今は訪れる人もまばらな、小さな漁港となってしまいましたが、今では想像もつかない活況を呈していたといいます。
昔から大阪を出た船は、この港に留まり、風待ちや潮待ちをし、再び江戸に向け乗り出して行ったのです。
島には、そんな船乗り相手の遊郭も栄えていました。
串本節には、「障子あくれば 大島ひと目 なぜに佐吉は山のかげ・・」と唄われましたが、佐吉とは、人の名前ではなく、佐吉楼という遊郭のことでした。
「海難1890」の映画で、かたせ梨乃さんの遊女が、裸になって遭難したひとを助けましたね。
船の向こうに橋が見えます。
船の後ろ姿というのは何となく哀愁が漂います。
この当時から、車が積めるフェリーが並走していたので、巡航船はあまり乗る人もなくなっていました。フェリーが就航していないときはデッキまで人が乗っていたっときもありました。
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