司馬遼太郎さんは、
「樹上の森青蛙は白い泡の卵塊からしたの水中に落ちて成体になるのだが、人々の空想も、家居しているときは泡状の巣の中にあり、旅に出ると言うことは、空想が音を立てて水の中に落ちることに違いない。私にとって『街道をゆく』とは、そういう心の動きを書いていると言うことが、手前のことながら近頃になってわかってきた」
とエッセーの中で書いている。
まさにその通りで、私もこれまで行ったところなどを拙文であるが、書くことによって、行ったところの空気や人のことなどを心に留め置くことができる。
空想から現実となり腑に落ちてくるのである。
しかし司馬さんはうまいこと表現する。
コロナで中途半端にGOTOキャンペーンが始まるが、値段が上がってと言ってずいぶんGOTOキャンセルがあるらしいが、キャンセルされて方はたまったものではない。
当てにしていたのがなくなるからね。
GOTOキャンペーンにお金を使うなら、そうした困っている地方の人々を援助してあげてほしい。どこかお金の使い方を間違っている気がする。
いやそうではなく受け狙いの施策なのかな。
支援をするだけだったら目立たないけど、GOTOキャンペーンでこれだけ人が動き利益を援助しました、という方が目立つ。
しかし国民も馬鹿ではないので、行き当たりばったりの自分ばっかりの施策にいつまでも踊らされない。そのうち痛い目に遭いそうな気がする。
今日は買い物ついでに木の皮の土手ですこし時間を取り昆虫や鳥を狙った。
昆虫は結構多くいた。
ギンヤンマも一匹元気に飛んでいた。飛ぶのが早すぎて撮れなかったが。
久しぶりに立派な蛇君をみた。アオダイショウかな。2m近くあった。
ペロペロと舌を出しながら歩いて?行った。
見慣れた蝶やアブが忙しそうにしていた。
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